日本で23年続いていることについて①
SENSIサンダルは2002年、実売は2003年から日本の代理店としてで取り扱いさせて貰っています。極小な組織で20年以上に渡り、なぜ今も継続させて貰っているのか。そしてどんな考えで続けているのかそんなことを、数回に分けて綴りたいと思いました。
僕自身は商社出身です。日本に新たなブランドを導入するにはブランドオーナーとの交渉から始まり、日本での市場調査、販路の確保などゼロからあるいはマイナスから立ち上げていくことは何度も経験してきました。やっと成長軌道に入るというタイミングで、契約が他社に移ったり、また海外のブランドオーナーが自ら日本法人を立ち上げるなど、ある意味苦渋を味わったことは何度もあります。
そのような中で20年以上続けられてこれたことは、何よりも人、ブランドオーナーであるSENSI、日本での販売で協力してくれた代理店、販売店、そして購入し愛用してくれている方々、のおかげです。そんな23年の経過を一応記録として記し、自分でも整理し振り返り今後の自分の糧にしようかと思いました。
まずはそもそも日本ではどのような経過で入ってきたのか。遡って取り扱い前のことから書いていこうと思います。
Sensiは 90年代初頭、大手商社の事業会社が日本総代理店となりました。まだ会社でもインターネットが普及する前です。少数精鋭の企業もその機動性を活かして、新しい海外ブランドの発掘には邁進してはいたものの、海外拠点を有するような大手商社が圧倒的に有利な時代でした。この時代を象徴するような雑誌がBoon。アメカジブームもあり、人とは被らない新たなインポートブランドが人気の頃でした。Nikeまたコンバースのシューズではmade in USAの商品があったり、また当時は特にスケートボードのブランドが台頭していた頃で、Airwalk, Vision Street Wear, Vansなどがスニーカーとしては注目されていました。
そんな時代に僕 溝口はこのSENSIを扱う総合商社の事業会社に社員として在籍していました。時代の流れに合わせ海外ブランドの導入には強みである海外拠点からの「新」ブランドの情報を収集して、「次」の新たな海外ブランドの販売権を取得することにも躍起になっていました。
当時、この企業ではブランドのライセンス権を得て日本で商品企画をする部署。もう一つが海外製品を輸入して販売する課と、大きく分けて二つありましたが、僕は後者を主軸に営業を担当していました。当時のブランドは2つ。ひとつは当時人気が高まりつつあるVans。今でも日本、世界では大人気のブランドで、この頃はまさに夜明け前夜、年間を通して常に受注がある状況でした。まだ100%アメリカ生産であり、英語ができることもあって、営業しつつ海外への発注や納期管理などを担っていました。
一方でSENSIはサンダル。端的に夏物商品のサンダルです。一年に一回のビジネス(輸入)になります。
正直、当時は補足的なビジネスで季節(秋〜冬;夏物商品は前年12月に海外発注し3月に日本に入荷という慣習)になれば、「そうそう、そうだった」というレベルで営業にもそれほど積極的でもありませんでした。
20代の若者にとって、華やかなブランドで広告予算もそれなりにあるVansにばかり傾注していて、「あぁ、イタリアのサンダル、やらなきゃ」という呑気な感じで取り組んでいたのが事実です。
当時イタリアブランドでありながら、イタリアのSENSI社とは直接の連絡のやり取りでは無かったのも、軽く見ていた要因かもしれません。所謂、各国への販売はセールスエージェントを介して行われていました。
Sensiを最も販売していたのは当時米国。
米国企業が販売代理店を担っており、イタリア製、イタリアからの輸入でありながら、発注のやり取りを始め全てこの米国企業と折衝していたので、
今思い返せば、それほど身が入っていない、そんな感じでした。
*冒頭の写真は 1970,71年のイタリア版カタログ